身体を考えた時、平面においても突出しているという感覚がある。つまり、皮膚も平坦ではいし、テーブルもよく見るとブツブツがあって穴が開いている。そこに「神経」のように感じることができる<アンテナ>が無数にあるはずですね。ある意味で、そのすべての「でこぼこ」や「窪み」も<アンテナ>だと思うんです。また、「窪み」の部分には水たまりのように<記憶>が残っているような気もする。例えば、テーブルの上でコップの水をこぼす。でも、それを拭いても、窪んでいるところにはまだ水分が残っている。その拭い去っても残っている部分に、よる淘汰された<記憶>がある。それが<アンテナ>という意味でもあるわけです。
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<重力>よりも速く落ちる=「侵犯」するという感覚、<重力>と一緒に落ちる=一体になる感覚、<重力>よりもゆっくりと落ちる=反するという感覚というのは同一線上にあり得ると思うし、しかも、それは三点ではなくて、無限にあるわけです。そして、そこに遊びが生まれるだろうと思う。
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以前「真空」を初演した時に書いたノートの中に、「の裏側」という言葉がありました。つまり、私とあなたがいて、その間に<光>がある。私からは<光>によってあなたが見える。あなたからは<光>によって私は見えない。そういうふうに、<光>には裏側がある感じがするんです。<光>には方向性がある。どこにいるか、どこに自分の視点があるかを規定することによって、「裏側」という言い方もできるだろう。
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勅使川原三郎
『システムの思想―オートポイエーシス・プラス』より。