『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット
文庫版の最後にあった太田光の書評がとてもよかった。
(部分的に抜粋)
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過去と、現在と、未来が、同時に存在していて、それが永遠に繰り返される。この小説はそういった時間のとらえ方で書かれている。
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例えば星と星を繋げて星座を作るやり方だ。よくプラネタリウムなどで、「これが大熊座」ですなどと目安となる絵が出てくると、かなり無理やりだなと思うが、人はそんな風にするのが好きなのだ。地球からの距離も、存在している時間もそれぞれ違う星の、光と光。点と点を繋げて一つの熊の絵にしてしまう。これは人間のとても楽しい癖だと思う。水蒸気の点の集合である雲をソフトクリームや乗り物の形としてとらえるのも、あるいは、テレビ画面も、パソコンの文字だって、本来は点の集合でしかないのに、とてもバラバラな点として見ていられない。これはある種、大雑把で乱暴なことだが、そうしなければ人間は生きていけない。あるいは、人類の歴史も、全ての時間を超越して一つのイメージとして、我々はとらえている。本来だったらこの世界に存在した全ての人間の全部の人生を知り、それぞれの言い分を聞かなければ、この世界を把握できないのだが、我々は断片と断片を繋ぐことによってこの世界をイメージしている。
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そもそも宇宙に、人間の冒すことの出来ない絶対的な法則があって、我々はその法則から逃れられないのだとしたら、とても不自由で、窮屈だと感じる。
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同時に、全ての法則から解放されて自由になるということは、あらゆるつながりを切って、この宇宙にたったひとつの点として存在するということで、それははたして幸福だろうか、と思うこともある。
「わたしを利用してくれてありがとう」
これもこの小説の登場人物の言葉だ。ヴォネガットというに人の頭の中は、とても目まぐるしくドタバタに変わっていく。「ワケが分からない」という感想は、凄くもっともな感想で、それこそが、この世界に対して私達人間が常に思っている感想そのものだ。今までのこの地球に存在した全ての人が、同じ時間に存在して、その人達全員に、「今までのこと全部、冗談だってさ!」と言って、それを聞いたみんなが、同時にひっくり返って笑ったら、楽しいだろうなと思った。この小説を初めて読んだ当時も、今もそう思った。
「われわれがいったすべてのことを、われわれはいまでもやはりいいつづけているんだよーこれまでも、いまも、これからも、変りなく」
この小説に出会った当時から、二十年以上経った今、再び読み返した『タイタンの妖女』は、このセリフ通りに、そこに存在していた。
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