不思議と会話しているように見える赤ちゃん
伝えたいこととか、意図とか、言語とか、そういうものの前にまず、コミュニケーションが先にある、と考えることができないか。
例えば、めんどくさい時に人は「はい、はい」とか「わかった、わかった」、2回言葉を繰り返す。「はい」「わかった」は了解の合図なのに、繰り返すとむしろ煩雑さの合図になる。
逆に、「は〜い」とか「わかった〜」とか、音を間延びさせると、今度は甘えたような好意的な合図になる。
つまり、普通は僕らは文法とか構造とか意味とかに従って、コミュニケーションをしていると思いがちなんだけど、実は文法とか言葉の意味の手前に、音とか、リズムとか、ジェスチャーとか、もっと身体的な相互作用があって、その中でだんだんと形成されてきたのが意味とか文法だという風に考えることができるんじゃないか。
まず人は行為する(例えばしゃべる)、そしてその中から理解可能なもの(例えば、意味、文法)を取り出す。
そうすると、後から振り返ったとき、あたかも僕らはその取り出した理解可能なものに従って行為しているかのように錯覚してしまうけど、ほんとうは逆、というような場面は他にも多く、かなり取り出せるんじゃないかと考えている。